「結果がすべて」はどうとらえる?
「結果がすべて」という議題になると、それについての賛否が問われることが多いですが、どちらかと聞かれたら私は「結果がすべて」は長い目で見て決めることだと感じます。
人生に起こることすべてが「結果がすべて」と言い切れないのは、物事の一面だけ見ているとわからないことのほうが多いからです。
この記事では、「結果がすべて」の賛否を問うのではなく、人生のあらゆる面から見て結果がどうだったのか、実例を元にしながら紹介していきます。
2022.02.21
「結果がすべて」はよく耳にする言葉ですが、この言葉が好きな人または嫌いな人さまざまだと思います。「結果がすべて」は成功に導き、また奥深くとらわれすぎると不幸を招くことも。この記事では人生を豊かにするためにはどうとらえるかを解説します。
「結果がすべて」という議題になると、それについての賛否が問われることが多いですが、どちらかと聞かれたら私は「結果がすべて」は長い目で見て決めることだと感じます。
人生に起こることすべてが「結果がすべて」と言い切れないのは、物事の一面だけ見ているとわからないことのほうが多いからです。
この記事では、「結果がすべて」の賛否を問うのではなく、人生のあらゆる面から見て結果がどうだったのか、実例を元にしながら紹介していきます。
世の中には「結果がすべて」と言う世界で生きている人がたくさんいます。
結果を残さないとその世界から排除されてしまう人もいるのです。
まず「結果がすべて」が成立しやすいものを挙げてみます。
仕事は「結果がすべて」と評価されることが多く、特に営業職は個人の数字が掲げられているので、数字=結果で評価されます。
営業職でなく、製造業などでは生産性や生産に対する利益など常に数字が付き物です。
きちんと仕事を覚えて、効率性や計画性を高めることで結果が出やすくなります。
個人プレーなら、数字=「結果がすべて」で人間性や協調性などは評価の対象にならないこともあるので、すごく意地が悪い人や高圧的な人が評価されることも多いです。
コツコツ頑張っても結果が出にくい人、持ち前の明るさであまり努力しなくても結果が出る人とさまざまです。
私は数字の世界で生きてきたので、ある意味仕事は「結果がすべて」だと思っています。
特に外資系の会社などは数字にはシビアなので、辛酸を舐めた方も多いでしょう。
「数字が出ないやつは物を言うな」という風潮さえ感じることもあります。
現在私は美容家兼ライターをしておりますが、やはり数字からは逃れられません......。
ライターにはPVという、どれだけ多くの人に見てもらえる記事を書くかが重視されますから。
どんな仕事でも常に右肩上がりではなく、浮き沈みやスランプは当然あります。
その中でどう結果を出していくかを考えることで人は成長するのです。
営業職も最初は個人の数字をとにかく伸ばすことから始まり、チームのリーダーになればチームの数字、管理職になれば営業所の数字まで広がってきます。
管理職になると、人間性も重要になってくるので高圧的なワンマンな人だと周りがついてきません。
仕事で結果を出し続けようと思ったら、自分だけのことを考える個人プレーの土俵から1段ずつ上がっていく必要があります。
2020年の東京オリンピックから2022年の北京オリンピックでスポーツ界も盛り上がっていますね。
スポーツも「結果がすべて」と言われる世界です。
スポーツの種目によっては、選手生命が短いものも多く本当にシビアな世界だと思います。
勝つか負けるかの勝敗や順位を競うので、得点やタイムで決まってしまいます。
努力=結果=評価になるので、スポーツ推薦などで学校に行かれた方は、モチベーションを保つ精神力も必要になってきます。
「結果がすべて」と言われるものの、努力した経験や鍛え上げた精神力は生きる糧に繋がっていきます。
スポーツマンが言われる「結果がすべて」という言葉は、努力を重ねたからこそ言える言葉でしょう。
その言葉が言えるまで、どれだけの苦労と努力をして重ねてきたのかと胸が熱くなります。
人生において「結果がすべて」と言える、最初に経験する出来事と言えば受験が多いと思います。
ただし幼稚園や小学校の受験は、親の頑張りのほうがすごいので本人はあまり実感がないかもしれませんね。
しかし、中学校以降の受験は本人の意思で決めて勉強をしている人がほとんどです。
そしてその合否により「結果がすべて」だと感じるのです。
合格したのは、頑張った結果だから、落ちたのは力不足だからとわかりやすいです。
特に大学受験となるとみんな真剣勝負、人生がかかっていると思う人もいるでしょう。
そして受験後、進学して次にやってくるのが就職試験。
希望の会社に入れるかどうか、これは「結果がすべて」という考えが成立しやすいです。
人生の中にはいくつかの大きな選択肢があり、一般的には進学や就職、結婚などが挙げられます。
自分が努力して得たものが「結果がすべて」と成立しにくい事柄もあります。
あまり「結果がすべて」と突き詰めてしまうと不幸に陥りやすいものに当てはまります。
バブル時代には女性が結婚する相手として望ましいのが「3高」と言われていて「高学歴」「高収入」「高身長」という男性を狙っていた時代があります。
男性から見れば結婚相手は「美人」「教養がある」「育ちがいい」女性を望むのと同じです。
望み通り理想の相手を見つけてゴールイン=「結果がすべて」にはなりませんよね。
自分1人ならば、自分の努力でどうにかできていたのが、結婚生活は相手がいることで思うようにはなりませんから。
最近はモラハラ男性がよく話題になりますが、モラハラ男性は「結果がすべて」「自分は努力家」だという考えの人が多い気がします。
良妻賢母を選んだはずが思い通りにことが進まない、または思い通りにすすめたいと思う男性がモラハラ化しているようです。
当時3高を選んだ女性たちはどうなのかと言えば、離婚していたり夫婦として終わっていたりする女性も少なからずいるのです。
良い相手と結婚=結果がすべてにはならないのです。
現在は若い世代でも投資や資産管理に興味を持ち、実践している人も多いでしょう。
投資というのは長い目で見ないと結果がわからないことが多いため、すぐに「結果がすべて」とは繋がりにくいですよね。
この投資をしておいて良かったと言えるのは10年後20年後になるかもしれません。
どの時点が結果となるかは決めにくいため、投資は「結果がすべて」とは言えないでしょう。
「結果がすべて」だと言い切る人は、それなりの努力をしている人が多いと感じます。
特に勝ち負けを経験して這い上がってきた人の「結果がすべて」は行動から違ってくるのです。
有言実行というのは、言葉通り「言ったことを実行する」ことですが、これは本当に難しいことです。
まずは口に出して言う時点で、目標達成のためにすることを逆算して実行しないといけないわけですから、それなりの覚悟が必要です。
また人に言うため、実行しなければ信用を失うこともあります。
なので私は、よほどの覚悟がなければ、言葉で発することをせず心に秘めていることが多いです。
ある程度形が見えてきたら、人に伝えるというズルい人間でもあります......。
いつまでに〇〇を達成する!ということを口に出して有言実行をし、結果を出すというのはすごいことなのです。
これができる人には「結果がすべて」を語れる権利があると感じます。
「結果がすべて」を達成したらまた次の「結果がすべて」がやってきます。
成功のための努力を常に続けている人こそ、本当の実力者でしょう。
努力を続けることは簡単なことでも、出来るようで出来ないのが人間なのです......。
目標に向かって努力をし続けることが出来る人が「結果がすべて」と言える人です。
「結果がすべて」で良い結果の人はいいですが、「結果が悪かった」人も大勢います。
「結果が悪かった」人が成功した例を紹介します。
Kさんは電気関係の大手企業に就職がしたいという目標があり、大学を受験しました。
経済的な事情で自宅から通える国公立大学なら自力で行けると考え、猛勉強し受験。
地方住まいなので自宅から通える大学は2校しかなく、2校とも落ちてしまいました。
受かったのは定時制の国立短期大学で働きながら3年間学びました。
入学時、誰が想像できたでしょうか、この4年後にバブルが崩壊するということを......。
専門的な学科で3年学び、Kさんは電気関係の大手企業に希望通り就職が叶いました。
でも、4年制の大学に受かった同級生は就職の年にバブルが崩壊し、求人がほぼなく仕方なく大学院に進む人が多かったそうです。
大学院を出ても求人が激減したため、希望の職種に就職出来た人はわずかだったようでした。
ここから就職氷河期と言われる時代に入り、Kさんが就職した会社もその後10年間は新卒を採用していないのです。
もし大学に受かっていたら、希望の企業には入れなかったはずです。
「結果が悪かった」から開けた未来もあるのです。
Eさんは、いわゆる高校受験に失敗した人で、志望校より2ランクほど下の高校に通っていました。
中学校時代の成績は中の下だったそうで、いつも平均よりは下、赤点よりは上という成績でした。
志望校も高望みをしなかったのですが、まさか2ランクも下の高校へ通うとは思ってなかったのです。
高校に入学して周りを見渡すと、自分と同じくらいか下の学力の人が多かったそうです。
Eさんはここの土俵でなら頑張れると一発奮起し、学年でトップを目指しました。
当時ではまだ数少ない情報処理科だったこともあり、就職先は銀行へ。
合併して現在は、高卒では入れないメガバンクになっています。
同期入社では大卒が多い中、営業成績で実績を作り現在も活躍しています。
希望していた普通科ではなく情報処理科に行ったこと、学年トップを取り続けたことで獲得できた就職。
Eさんも「結果が悪かった」から、自分が頑張れる土俵に行けて今があると教えてくれました。
ある分野で成功し続けている人の成功例も紹介します。
とある会社で長年営業として働いているMさんは、日本でもトップクラスの成績を収める営業実績を上げている方です。
これだけの成績を毎年維持されるまでには、どれだけの期間をかかって築かれたのか聞いてみると、「入社した初年度から国内でTOP30内に入っていた」とのこと。
寝る間も惜しんで勉強し、とにかく人の倍以上動いたそうです。
営業職というのは、いい時期もあれば悪い時期もあるのが普通ですが、Mさんは常にTOPを目指し毎年表彰され続けているのです。
Mさんは自分で営業に行くのではなく、実績と信頼からすべて顧客からの紹介で新規案件を獲得しているそうです。
ところがMさんは、命に係わる大きな病気になりました。
闘病生活を送りながらも、入院中もリモートで仕事を続け案件を獲得しその年も表彰されたのです。
そして医師も驚くほどの回復で、現在は通常の生活を送っています。
なぜそこまで仕事するのかと聞くと、「大事な顧客からの依頼や紹介には、満足いただけるものを提供するのが恩返しだから」と言われたのです。
使命感と感謝の心で顧客に答えたいという思いが、早期回復へ繋がったのではと感じています。
TOPを走り続けるのは小手先の技や、口の上手さではなく強い信念を持っているからなのです。
以前に、ある教育系の講演会に参加したときの講師がP先生でした。
P先生は、まず自分の自己紹介をされ「私は幼いころから団体生活になじめず、幼稚園に入園するも通えず、小学校も5年生まで通えませんでした。
小学校5年あたりからぼつぼつ通い、中学と高校はなんとか卒業しました。
しかし、大学受験に失敗し長い引きこもり生活に入ったのです。
不登校や引きこもりの人は2重の苦難を抱えており、一つは自分の未来が見えないこと。
もう一つは、親に苦労をかけているということです。
20代半ばで大学に入り、初めて本格的に目標を持ち、教員免許を取り小学校の教諭になりました。
このような形で自己紹介をされ、小学校では不登校の生徒には本人の支援だけでなく親のサポートにも力を入れて、誰一人取り残さない教育をモットーに教頭職まで勤め、現在は別の教育機関におられます。
P先生は小さな結果を作り続けることで、例えマイナスからのスタートでも社会に貢献することができると言われていました。
女性で教頭まで勤めて、その後も教育に携わりさぞ華々しい経歴をお持ちなんだろうと思っていたので、話を聞いてびっくりしました。
社会への貢献、教育で未来を作るという信念がP先生を動かし、教員になる夢を叶え「結果につながった」と感じました。
良い結果が得られたときは、これまでの努力が実ったので本当にうれしいですよね。
自分で自分を褒めてあげることも大切です。
その結果を持って今後どのように生かしていくのか、また新たなステージに挑戦するのか、常に成長を続けていける人が本物だと思います。
しかし一方で、結果が良いときは勢いに乗っているので、自分を過信してしまいがちです。
自分の心がおごってしまうと、人を傷つける言葉を言ったり見下したりする心が出てくるときもあるので、自信とおごりは違うと気付かなければいけません。
おろかな政治家を見て「何でこんな過ちを犯したのだろう」と思う人は多いでしょう。
最初から不正を行なおうと思って政治家になったわけではないはずです。
先生と呼ばれ、人より上に立っているというおごりの心が判断を鈍らせるのでしょうか。
結果が良いときほど、自分自身が身の丈に合った振舞いをしているか気をつけないといけない時です。
結果が悪かったときには、どのようなところが不足していたのか、努力が足りなかったのかと反省点を考えますよね。
次に機会があるのなら、同じ過ちは繰り返さないよう努力をすると思います。
また思うような結果が得られず、希望のステージに行くことが出来なかったとしても、今自分がいる場所で頑張れる人が強い人なのです。
「結果がすべて」でも、その過程で努力したことは将来役に立つときが来ます。
結果が出なかったとしても、自分の努力は何一つ無駄にはしないという、いい意味での厚かましさも大切なのです。
「結果がすべて」なら、結果を出すために努力したことや行動したことがすべて無駄なのか。
これは「結果がすべて」だから、結果が出せなかったなら無意味だと考える人もいると思います。
世間の評価はそうかもしれません。
でも人生において、どんな結果でもこれが自分にとっての現実なのだと受け入れないと先に進めないのも事実です。
そう考えると途中の努力も無意味にしてしまってはいけないのです。
結果が悪くても、世間の目が冷たくても、家族にがっかりされても、以前の自分よりは成長していると自身が認めてほしいです。
自分に起こった結果は長期で見ないと、実は結果がわからないことも多いです。
長い年月をかけて人生を振り返ったときに「あのときの結果がこう繋がったのか」とわかる日がいつか来ます。
だから目先の事柄に一喜一憂するのではなく、長い目で見る必要があるのです。
「結果がすべて」は結果が出た、結果が出ないという対比する事柄の両面を知ることが大切なのです。
そして人生の最後に、「勝った」と思える人は「結果はすべて」だと思います。
人生の終盤には必ず勝ったと言えるよう、小さな努力を積み重ねていきたいものです。
女性のキレイを応援する美容家
エステサロンに8年勤務し管理職としてサロン運営スタッフ育成について学ぶ。 日本化粧品検定1級、コスメコンシェルジュ、コスメ薬事法管理者を取得し薬事法ライター、美容ライターとして美容情報を発信中。 誰もが通る女性ならではの悩みやエイジングの道を、自分らしく輝ける方法を一緒に探しましょう。
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